「ドラマターグ」とは何か?

僕にとって「ドラマターグ」という言葉はオランダはデン・ハーグにあるコーゾ・シアターという劇場と深く結びついてる。

2001年の8月にオランダで活動を始めた楠田健造君から連絡があった。
海外での初のピースを作ることができる。小さなプロダクションだけど、20代初めからやってきたようにオランダに来て一緒に作品作りをしてくれませんか。
僕は、Septembaer11の影響でガラガラにすいている飛行機にのってスキポール空港に到着して、そこから電車を乗り継いで、ロッテルダムのはずれの稽古場に直行して、その日は朝の4時まで稽古した。楽しかった。ビールがこんなにおいしい酒なんだと知ったのもこのときだ。

それから4年間、毎年1ヶ月間滞在して、作品を作った。
初年度に作った作品はとても好評で、賞も取り、僕が帰ってからオランダ内でのツアーが決まった。そして2年目。コーゾ・シアターと出会った。ちゃんとした劇場施設の他に、教会を改造したストゥーディオがついていて、そこでデュエットの作品を作った。

いよいよ公演がせまってきたとき、僕のstaff-creditをどう表記するかをプロデューサーに聞かれ、「えーとじゃあアドバイザーで」とかめちゃめちゃブロークンな英語で返事をしようとしていたら、食堂でコーヒを飲んでた芸術監督のLEOが「お前はドラマターグだろうが。ドラマターグじゃん。言葉さえ、もっと喋れればこっちでやればいいじゃん、お前いいよ」的なことをオランダ語でいうから、僕はよくわからなくて聞き返した。褒めてくれてたのはそのときはわからなかった。何故ならLEOは劇場にいて、インドネシア料理を食べているとき以外あんまり笑わないから。僕たちのことをあんまり面白いと思っていないんじゃないかと思ってたのです。

とにかく、オランダの京都みたいな街で、はじめて僕は自分のやってきたことを「ドラマターグとかドラマトゥルクとかドラマタージー。。。」とよぶ職能であることを知った。

それからいろんな事を知ったが、僕はきっと今の日本のドラマターグとよばれているもののど真ん中に位置するタイプじゃないんだろうと思ってる。
そもそも昔は名乗っている人とあった事がなかった。

でも、それはあくまで肩書きの問題であって、そんな役割の人々は昔からずーっといたんだと思う。それは作品は1人で作るよりも対話をしながら作る方がいいのだということなんだと思う。絶対そう思う。ソクラテス万歳。ありがとうKORZOtheater楠田健造

なお、こんなお前の思い出話じゃなくて、職業としての「ドラマターグ・ドラマトゥルク・ドラマタージー・ドラマツルギー」についての考察を知りたいという方々はナガシマさんのつぶやきが楽しいこちらをどうぞ。(もうだいぶ昔だけど。)